■「たれコレ」開発ヒストリー■ 団塊の世代の私は還暦を迎えたばかり。その節目というわけではないが、なぜ か北京オリンピックが開催(8月8日スタート)されるタイミングを狙って、 食品販売という個人事業をひらめいた。発案したのは今年の2月頃。 ひらめきは、北京オリンピック開催時期=8月=猛暑=食欲減退=解消料理は 「うなぎ」と「焼肉」=焼肉のたれ=万能たれというイメージが沸いてきて、 昔20代の頃、子会社出向で勤務していた焼肉店の「たれ」を蘇らせようと思 い立ったのです。 そして、広報戦略としての切り口・テーマを「焼肉を食べながらテレビ観戦し て北京五輪の日本選手を応援しよう」に設定。すべてはここに帰着するように 組み立てていきました。 私の人生は焼肉とは切り離せない。30年前、20代の頃、昔プリマハムとい う会社にサラリーマンとして出向で子会社の「プリモ」におり、そこが焼肉店 だったのです。この焼肉店、池袋の東武デパートに出店しており、60店舗は あった飲食店街の中でも上位の売り上げを誇る繁盛店でした。 夕食時、50人ほどの客席はすぐに満杯になり、入口では待ち客が並び長蛇の 列に。待ちきれなくなったお客は「たれ」だけを買って帰っていくほど。たれ の売り上げでも月に500本あったのでは。その繁盛店ぶりは知る人ぞ知る。 人気の秘密は「たれ」。あっさり系の「甘いたれ」が特徴。駅の裏やガード下 にあるような赤ちょうちんで一杯やる「にんにくぷんぷん」の焼肉屋(ホルモ ン)の「たれ」とは対極にあり、家族で楽しく食べる「甘いたれ」が受けてい ました。そのせいか、客層は男性というよりも「女性客や子供」に多く、「た れ」とともにその人気をあらわしていました。 プリモを有名にしたのは「たれ」だけではなく、店の外壁スペースを利用した いろいろなイベント企画でした。いま思い出しただけでも、 1.蘇るトニー、赤木圭一郎展 2.マリリンモンローの切り絵展 3.東京六大学のキャンパス漫画展 4.深夜ラジオ女性DJ写真展 5.魅惑のジャズシンガー、阿川泰子写真展 6.フォークシンガー、及川恒平写真展 などで、一見、飲食店とは無縁の企画ばかりを実施していました。私がやりた かったのは顧客の集客というよりも、時代の空気を共有したいだけだったのか もしれません。 中でもプリモをメジャーに押し上げのは「4人で挑戦!焼肉のタダ食い競争」 というイベントだった。20分で規定量の焼肉を食べたらタダ、食べ切れなか ったら食べた分だけの量の代金を支払ってもらうというもの。これももう空前 の大ヒット。連日マスコミの取材攻勢。伝説の焼肉店となっていきました。 今は会社も店舗もなくなった名店「プリモ」の「たれ」の再来、再現にチャレ ンジしようと企画したのです。当時、焼肉店といえば辛いテーストの「韓国焼 肉のブロコギ」が主流でした。 ブリモでは百貨店での営業形態を考慮し、非プルコギ路線をとろうと「にんに く」と「内臓」をなくし、「甘いたれ」「魚貝類の新設」「明るいインテリア」 などの新機軸を打ち出したところ、これが大当たり。 しかし、焼肉需要だけの「たれ」では消費が促進されないと考え、「たれコレ」 万能という位置づけにしました。肉だけでなく、魚貝類や野菜にも合うように 工夫を凝らしました。「甘い味覚」路線だけはそのまま残しています。 基本プランが出来上がったのは今年3月、万能たれを売っていくためには使い 方を示した「レシピ」が不可欠と考え、知り合いでテレビ出演されたことのあ る高名な料理専門家の先生に依頼。ところがこの先生、私の開発したたれを酷 評、以来私はひどく落ち込んでいきました。 その発言内容。「味覚が甘すぎる。はすかさんの舌は懐古的でおかしい。味も 時代とともに変化し、今は健康志向を反映して甘くないのがいいのです」 あたかも甘いものが国を滅ぼすといわんばかり。偏見もはなはだしい。悔しく て夜も寝られないほどに落ち込んだ、それでは30年前のブリモ焼肉店の繁盛 ぶりは何だったのか。あの「たれ」だけのテイクアウト客は何を意味するのか。 あの異常な待ち客の列はまぼろしかったのか。 今でも「甘いたれ」を希望する人はきっといる、そう思ってこの先生とはこの 一件以来、絶交した。そうこうしているうちに、ネットで探したレシピ開発の いい先生と出逢った、 先生は東京・国立市で料理教室をやっている宮川順子さん。彼女の料理思想が おもしろかった。「現代日本をダメにしたのは手抜き料理のお母さん。いい加 減な子供が増えているのは子供の食育ができていないからだ」 宮川先生ご自身のご長男にアレルギーがあり、悪戦苦闘するうちに添加物を使 わないピュアな味の美しさにひかれ、食育が大事と思うようになったという。 化学調味料を一切使わず、すべてを「国産原料」で作ろうという私の思いに共 鳴した宮川先生が、レシピ開発を引き受けてくれた。 一難去ってまた一難。やっとの思いで開発した「たれ」が完成したのは5月。 発売を6月に予定していたのですが、「たれ」を作ってくれるアウトソーシン グ業者が見つからず、困り果てていた。 当方の事務所は食品を製造するふさわしい環境にない。衛生的でないからだ。 たれメーカーや焼肉店など40数社に委託生産の交渉をしましたが、全部断ら れる始末。1回の製造ロット(単位)が少ないというのが理由。ワンロット3 00kg以上でないと受け付けてくれないという現実が第二の壁だった。 北京オリンピックが1ヵ月後に迫ってきた7月の頭。「小ロットでも引き受け てもいい」という飲食店チェーンに出逢いました。オーナー社長の奥さんで広 報部長の女性が商品開発部の担当者を紹介してくれた。「宮崎に最近開設した セントラルキッチン(工場)がある。そこなら衛生設備完備で保健所問題もク リアできるのでは」のうれしい言葉をいただき、話がまとまったのです。 構想から約半年、私の「たれコレ」はようやくネットで通信販売できることに なりました。1本2000円という高額商品ですが、試供品を気に入ってくれ た人から注文も入り始めました。 果たして「甘いたれの昭和テースト」は健康志向の現代にどれほど受け入れら れるか――期待と不安が入り混じる私の船出であります。